東京地方裁判所 昭和22年(ワ)2号 判決
原告 沖電気株式会社
被告 木川栄次郎
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金十万円及びこれに対する昭和二十一年八月一日以降みぎ金員の完済にいたるまで年六分の割合による金員の支拂をせよ、訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決、並びに、仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、「原告は、今次戰爭中軍需会社法にいわゆる軍需会社として陸海軍の注文による軍需品の増産につとめていたのであるが、原告が軍から交付される兵器の材料、部品の集積倉庫、試驗檢査所及び軍当局との連絡事務所を設ける必要を生じ、それに充てる設備として、被告所有の後記建物等を原告において買收することとした。当時旧臨時資金調整法第四條ノ二及び同法施行令第六條ノ二の制限を受けて、みぎの買收は、それに規定された限度を超える事業設備の新設として、原告は、同法による政府の許可を、またその前提として軍当局の諒解を得ることが必要であつた。そこで原告及び被告は、原告においてみぎ軍当局の諒解及び政府の許可を受け得られることを條件として、被告から昭和十八年八月十三日に東京都新宿区四谷二丁目四番地ノ八所在、鉄筋コンクリート造陸屋根三階建一棟、建坪百四十三坪九合、二階百二十三坪九合、三階二十坪八合、外地下室三十四坪(但し、三階の一部七十九坪四合七勺は木造)の建物、並びに、みぎ建物内に設置されている金庫一基、電話加入権、及びみぎ建物の敷地百五十五坪四合一勺二才に対する賃借権を代金三十一万円で買い受ける旨の約定をなし、即日手附金名義において内金十万円を被告に交付した。
その後、原告は陸軍省整備局長に対し、本件買收に関する前記諒解即ち原告が兵器の生産を増強する上に、前記建物等の買收が必要である旨の証明書(臨時資金調整法による許可を申請するために、その申請書に添附するもの)を求めるため努力したのであるが、昭和二十年三月にいたつて、みぎの証明を得ること、延いて、前掲法律による政府の許可を得ることが全く不可能となり、從つて前記賣買契約は、その條件が不成就に確定して、結局その効力を発生しないこととなつた。そうなると、原告がさきに被告に交付した金員は、法律上の原因なく、原告の損失において被告の利得するところとなつたわけであるから原告は、條件が不成就に確定した当時に、被告に対して、その旨を通知をすると共に、前記金員の返還方を求めたところ、原告はこれに應じなかつたので、更に昭和二十一年七月二十九日に、内容証明郵便をもつて前同旨の通知及び催告をし、同郵便は、同月三十一日に被告に到達した。
よつて、原告は、前記手附金名義の金十万円、並びにこれに対する前記内容証明郵便が被告に到達した日の翌日である昭和二十一年八月一日から、原告は株式会社として商法上の商人であるので、商法に定めている年六分の割合による遅延損害金の支拂を求めるため本訴請求に及んだ。なお、被告の抗弁事実中昭和二十年五月三日に被告から契約解除の意思表示のあつたこと、並びに、本件賣買契約において、それが解除されたとき、契約不履行の当事者は、相手方に違約金六万円を支拂う定めがあつたことは、これを認めるが、その余の事実は、これを爭う。そうして本件契約の目的物は、昭和二十年四月十三日に戰爭による災害のため、燒失しているから、被告主張の契約の解除はその効力がない。また、違約金に関する約定は、原告が任意に契約を解除した場合に関する定めであつて、原告の本訴請求に対する抗弁としては当を得ないから、相殺に供することはできない。」と述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として「原告主張の請求原因事実中、被告が原告主張の日時にその主張の各物件を、その主張の代金で原告に賣却する旨約定したこと、前日手附金名義において内金十万円の交付を受けたこと、みぎ契約について原告が政府の許可を得ることができなかつたこと(しかし、被告が原告からこれを聞知したのは、昭和二十年五月十一日附の書面によるものである。)、原告主張のような通知及び催告が昭和二十一年七月二十九日附の内容証明郵便によつて同月三十一日に被告に到達したことは、これを認める。しかし、みぎ契約が原告主張のような條件にかかること、並びに、その條件の不成就により、契約が効力を失つたということはいずれも否認する。その余の事実は知らない。当時軍需会社であつた原告が、本件家屋の買收をするについて、政府の許可及び軍当局の諒解を得なければならなかつたことは臨時資金調整法上当然のことであるが、この手続は原告会社が契約の締結前にその内部において行うべき工作で被告の與り知らぬところであり、しかも軍当局の諒解及び政府の許可を受け得られることを確信し、原告及び被告は、その不可能などということは、毛頭予想していなかつたから、双方とも、陸軍省当局の諒解、政府の許可等を本件契約の條件とする意思を有していなかつたのである。」と述べ、抗弁として、「被告は本件契約の約旨に從つて前記諸物件を約定の一ケ月内である同年九月四日までに原告に引き渡したのであるが、原告は、政府の許可等の遅延していることに言寄せて、その代金を支拂わないので、昭和二十年四月五日附郵便で、同月十五日までにこれを支拂うよう催告したところ、みぎ期日にも支拂がなく、よつて被告は、同年五月三日附の郵便をもつて、本件契約を解除する旨の意思表示をし、その郵便は同月六日原告に到達した。從つて、仮りに原告に対し金十万円の手附金を返還すべき義務があるとしても(一)本件契約はみぎに述べたように解除になり、しかも原被告間には契約解除の場合には、原告は被告に対し違約金として、金六万円を支拂うべき旨の特約があつたから、被告は本訴において、原告に対するみぎ違約金債権をもつて、原告に対する金十万円の債務と対当額で相殺する意思を表示する。更に(二)被告は本件契約の成立に際し、その仲介、斡旋料として金四万二千五百円を、また本件契約の成立した昭和十八年八月以降契約解除になつた昭和二十年五月までの間の本件借地に対する地代として金三千八百三十二円六十二銭を、同期間内の家屋税の一部として金二千二百七十円四十八銭を、また更に契約に基いて建物を原告に引き渡すため被告が從前使用させていた者にその明渡をさせる費用として二十四口小計金八万三千六百二十三円五十銭を、合計金十三万二千二百十六円六十銭を支拂つたが、これは結局原告の債務不履行による契約解除によつて、被告に帰せられた損害に外ならないから、被告は本訴において、この損害賠償債権をもつて、原告に対する債務と対当額で相殺する意思を表示する。」と述べた。<立証省略>
三、理 由
原告が昭和十八年八月十三日に被告から原告主張の諸物件を代金三十一万円で買い受ける契約をしたこと、同日原告が被告に対し、内金の性質を有する手附金十万円を交付したこと、原告が被告に昭和二十一年七月二十九日附の内容証明郵便でみぎ賣買について、軍当局の諒解及び政府の許可が得られないことを確認した旨の通知並びに、前記手附金の返還を求める旨の催告をし、その書面が同月末日に被告に到達したことは、いずれも当事者間に爭がない。
つぎに、前段掲記の賣買契約が、原告の主張するような條件にかかるものであるかどうかについて判断する。この点について、証人奥村茂は、原告の主張に符合する契約趣旨であつた旨供述し、甲第三号証の一の中にも同趣旨の記載があるけれども、みぎの供述乃至記載部分は、当裁判所の信用できないところである。さらに、成立に爭いのない乙第一号証によれば、契約書の第四條に「本契約締結後可及的速ニ乙(註、原告を指す。)ハ本賣買ニ付必要ナル軍部ノ承認並臨時資金調整法ニ依ル許可申請ノ手続ヲ爲シ夫レ等ノ許可ヲ得タルトキハ直チニ賣買物件ノ所有権移轉登記ヲ爲スモノトス」る旨の約旨の記載が見えるけれども、みぎ第四條の文言は、これを卒直に読みくだすならば、そのいわゆる軍部の承認及び法による許可を、法律行爲としての係爭契約の効力の発生にかからしめる條件として定めたものと解釈することは、文理解釈としては、これを否定することが相当であつて、却つて乙第一号証中の他の諸條項並びに、証人殿岡栄及び同奥村茂(前出の信用しない部分を除く)の各証言を併せ考えれば、みぎ第四條は、その文字の示すとおり、政府の許可等を受けたときを建物の所有権移轉登記の時期と定めたにすぎないのであつて、それ以上に契約の効力をこれにかからしめたものとは考えられない。もつとも、臨時資金調整法及び同法施行令によれば、法令に定める限度を超える事業設備新設等には、すべて政府の許可を得ることが必要とされ、且つこれに違反したときは、刑罰制裁の定めがなされているから、本件当事者としても、殊更に、契約上明示的に規定しておかなくても、もし政府の許可を得られない場合には契約が効力を発生し得なくなるのは当然であると予定し、このような意味で政府の許可あることを本件の契約條件とすることについて、黙示的な合意があつたのではないかとの疑問が起らないでもない。よつて、本件契約当時の事情について、さらに細かに檢討してみよう。
先ず、証人奥村茂(前記信用しない部分を除く。)同内田豊、同殿岡栄、同三宅久之助及び鳥居博男の各証言を綜合すれば、原告は軍需会社として軍の発註にかかる特殊兵器(水中聽音器)の製造に当つていたところ、本件契約の当時、その増産について軍から矢のような催告を受け、その要望に應ずるため、原告の高崎工場、富岡工場へ送付すべき軍の支給にかかる兵器の材料、部分品の集積倉庫、並びに東京における軍との連絡事務所として相当の建物が必要となり、本件建物がたまたま、それに適する恰好のものであつたのでこれを買收することに決したこと、そうして原告は、軍の特殊兵器の増産の要望に應ずるため、本件建物を買收し、事業設備を新設するのであるから、原告のみぎ買收が兵器増産のために必要であることは軍も容易に証明してくれるものと確信しており、昭和二十年中に至るまで目的達成のため努力を重ねていたこと、從つて契約締結に際しても、軍の諒解、政府の認可が與えられない場合のことなどは毛頭予想すらしていなかつたこと等の事情を認めることができるし、また前掲乙第一号証によれば、係爭契約の内容として、建物の引き渡しは、その占拠者を立ち退かせたうえで、契約締結の日から僅かに一ケ月内にするものとしたこと、(証人三宅久之助の証言及び成立に爭のない乙第八号証によれば、原被告間において、契約成立の日から一ケ月を経ない昭和十八年九月四日に建物の大部分の引き渡しが行われ、その後は原告において建物を事実上使用したために使用料名義において、一ケ月金千五百円づつ代金の利息に相当する金を支拂つていたことが明かである。)代金の支拂いは所有権移轉登記の完了をまつて、それと同時にされる筈であつたこと、建物借地名義の変更は、建物の所有権移轉の登記と関係なくこれを行い、建物の引き渡し後は原告において地代を支拂う定めであつたこと、建物の公租公課等の賦課金の負担は、建物の引渡の時期をもつて区分する定めであつたこと、建物の引き渡し完了前その滅失毀損による危險負担及び契約の不履行の場合に処する特別の定めをしたこと、しかるに原告主張の條件の不成就の場合の措置については何等の定めをしておらないこと等が認められるのであつて、以上に認められる諸般の事情からすれば、契約の当事者双方は、契約の効力を原告の主張するような條件にかからしめる必要を覚知しておらず、また從つて、そのようにする意向をも持つていなかつたところから、契約の文面において明示的にはもちろん、書面外において黙示的にも條件附の契約をしたものではないと認めることが相当である。なお前掲臨時資金調整法の規定によれば一定限度の事業設備の新設等について政府の與える許可は、私法上の契約の法律要件ではないから、許可の有無は私人間の事前の法律行爲の成立には相関するところでなく單に後発的履行不能の問題が生ずるにすぎないものと解されるから、前示法令の存したこともまた前認定の妨げとはならない。從つて本件契約は如何なる意味でも、前記諒解又は許可の有無によつて効力に消長を來たすものとは言い得ないのであつて、他に前認定を左右するに足る証拠はない。
そうなると、本件契約が原告の主張するような條件にかかることを前提として、原告がさきに被告に交付した手附金の返還を求める本訴請求は、爾余の爭点について判断するまでもなく、失当として棄却すべきである。よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九條を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 中西彦二郎 西岡悌次 月山桂)